へっぽこ千早P的オタク生活

気に入ったアニメ、漫画、ゲームの感想、最近ドハマり中のアイマス関連の話など、ヲタクな話題を思いつくままに綴るチラシの裏的ブログ

5年前の話 ※ちょっとだけ閲覧注意?

あれから5年、ということで周りが騒がしかった一日ですね。

宮城在住のいち被災者であるKanataとしては、まあ平常運転だったんですが、思い返してみると長かったような短かったような。

本当に全てなくしてしまった方ほどではないにせよ、Kanataも親戚の方や友人知人、顔を知ってる程度の人間もけっこう亡くなりました。

死ぬほど嫌いだった人間が亡くなったとの報せを聞いて不謹慎な気持ちを抱く一方で、高校時代に喧嘩別れしてしまった先輩とはもう仲直りしようがないんだなー、なんて思うと何とも言えない気持ちになります。

津波で流された母方の実家の跡地はようやっと嵩上げ工事が始まりまして、先日工事の説明会に出席するついでに見に行ったんですが、ものの見事に更地になってました。

夏休みなんかは親戚一同が集まってたなー、なんてちょっとセンチメンタルな気持ちになったり。

 

まあそんなこんなでね、今日のブログでは節目ってことで当時を少し振り返ってみようかなとね。

まあ思い出したいほど愉快な記憶じゃないんですがね、嫌なことほど忘れられないのは人間の性ですわな(´・ω・`)

いつもよりか面白くない内容ですので(いつもの記事が面白いかは別として汗)、今日の記事はスルー推奨ですw

じゃあTwitterでシェアすんなや! って話ですわな……汗

 

 

被災まで

通っていた学校の3月9日が卒業式で、内定先の入社日の都合もあって、3月10日に実家の宮城に一時帰宅。

そういや9日にも地震がありましたねー。確かPPA会長のスピーチの最中だったんですが、そこそこ大きい揺れの中、スピーチを続行してたのはすごいなあと思ったのを覚えてますw

3月11日は姉が贈答品を買いに行きたい、とのことで近所のショッピングモールに出かけてました。

地震が来たときは「あーまた揺れてるー」くらいの気持ちだったんですが、揺れが収まるどころかどんどんひどくなってきまして。

目の前でがたがた揺れてる美濃焼だったか九谷焼だったかのタンブラーが落ちそうだったのでとりあえず掴みましたw

そのうち揺れに耐えかねて周りの商品が棚から落ち、ついでに店内の照明も落ちました。

「ここにいたら危ないな」ということでとりあえず床にタンブラーを置いて店の中央に退避。

揺れが収まり、店員さんの誘導に従って姉とともに店の裏口から非常用通路を通って店外へ。

床に置いたタンブラーは降ってきた商品に当たって壊れてました。あのままいたら自分もああなって……はいなかったかもですが、まあ怪我はしてましたわな苦笑

 

とりあえず家を目指す

外に出たものの、車は店舗を挟んで反対側に駐車していたため、店内を走って突っ切り、車を見つけて乗り込みました。

通所リハビリに行っていた母が帰宅している可能性がある、ということで、とりあえず我が家に向かうこと。

とりあえずラジオをつけると、当然と言いますか地震の話題が。

震度6弱と聴いたときは、驚きよりかは納得、といった気持ちでしたね。

信号も全部ストップしてましたんで大きな道路は渋滞しており、地元民しか知らないような裏道を駆使して家を目指しました。

途中、女川町では10メートルを超える津波がきたとの情報に、「これはうちの近くまで津波くるかもしれんな」と焦る姉とKanata。

結果的には近くどころかがっつり来まして、家の一階は完全にアウトだったわけですが、それが分かるのは数日後の話です汗

家に到着し、中に入るともうぐっちゃぐちゃ。

足の踏み場もなく、割れたガラスも散乱してたので土足で家の中に。

家ん中にいたら死んでたな……と思いながら家ん中を捜索するも、誰もいないようだったのでひと安心。

当時防災意識の低かったKanata家では満足な避難グッズを用意していなかったため、とりあえず目についた懐中電灯だけ持って、母がいるであろうリハビリ施設……の前に、近所に住んでる祖母が住むアパートを目指すことに。

ここで懐中電灯を持ったのは何となくだったんですが、これが後々大活躍でして(苦笑

皆さんも最低限、ラジオと懐中電灯は常備した方がいいですw

家を出るとご近所さんたちが数人集まってきてました。

足の悪いうちの母のことを知ってて、心配して様子を見に来てくれてたそうで。

お向かいさんから「あと数十分で津波が来るらしい。Kanata家よりか高さがあるし、とりあえずうちに避難しておかないか?」とありがたい提案を頂いたものの、母と合流しようと思うので、と辞退して祖母の家を目指しました。

この時来て下さってたご近所さんのうち、Kanataと同様に車で避難した方が亡くなってました。一歩間違えてたら我々も……と思うと何とも言えません。Kanataの周りでは家の2階に避難した方より、下手にどこかへ避難しようとして亡くなった方が多かったですね。一概にどちらが正しいとも言い切れないのが難しいところです。何はともあれ、ご冥福をお祈りいたします。

 

祖母のアパートへ

再び裏道を駆使したんですが、電柱が倒れて電線が道路に落ちてるわ、家の壁が崩れてるわで道中はなかなかの悪路でした……汗

表の通りに出たら出たで大渋滞だったんですが、日本人の性格なんでしょうかね、こんな時でも皆さん譲り合いの精神を忘れていないといいますか、信号もないのに目立った事故も無く、低速ながら車は流れていました。

そんなこんなで祖母のアパートに着くと、地震でめちゃくちゃになった室内の片づけをしている祖母。

ラジオがなく、停電もしていたので津波の情報を知らなかったそうで……汗

津波が来るかもしれないから、と祖母を車に乗せ、ついでに毛布を何枚か拝借して母のリハビリ施設を目指しました。

 

リハビリ施設に到着

車が進まないわけでもない様子でしたし、行き止まりができてる可能性を危惧して今度は大通りを駆使しました。

ラジオでは相変わらず地震の情報。

外では大音量で鳴り響く『大』津波警報とサイレン。

とどめに車の窓の外ではちらつき始める雪。

この辺ホントにトラウマですね汗

終末感半端ねえな……と思いながらハンドルを握ってましたね。

程なくしてリハビリ施設に到着し、ロビーで待機していた母と合流。

ちょうど送迎バスが出ようかというところで地震があって、施設で待機していたとのことで、合流できたのはまあ運が良かったですね。

母を引き取り、とりあえずKanata家よりか内陸寄りの祖母のアパートに戻ろうかと車を発進させました。

 

施設にUターン

施設を出て数分ですかね。

低速運転で祖母のアパート目指してたんですが、前方から何やら叫びながらスクーターに乗ったおっちゃんが車道の脇を逆走してきまして。

なんとなく嫌な予感がしたので、いつも以上に前の車間距離を空け、窓を開けて耳を澄ますと、

津波が来てるから戻れ!」

∑( ̄Д ̄;)

……いやー、ここまで姉が『ドン引きするレベル』で終始冷静だった(らしい)Kanataですが、あんときだけはびっくりしました汗

祖母宅よりか内陸寄りの施設近くにまで津波が来てるってことは祖母宅はアウト、となるとKanata家も当然アウト。

とにかく車をその場でUターンさせ、リハビリ施設に戻りました。

 

それから…

その後リハビリ施設に避難させてもらい、三日ほどお世話になりました。

途中、臨時で営業を再開した薬局に並び、被災した店が無料で店内を開放した、との噂を聞きつけて懐中電灯片手に泥ん中から水と食料を調達しました。

人生で一番生きることに貪欲でしたね苦笑

町ん中は悲惨でした。

足元は泥だらけ、流されてきた自動車やら瓦礫やらが道を塞ぎ、水も引かないから大多数の道路が通行できない、といった状態でした。

三日目に仕事先から歩きとヒッチハイクと自転車を駆使して帰ってきた父と無事に合流。

それから近所の叔母の家(こちらは床下浸水程度の被害)に身を寄せ、三週間ほどお世話になりました。

 

そのあともまあ色々とイベントフルで、トイレが使えないからとりあえず野外でバックトゥネイチャーしてるのを近所の人に見られたり、埃にやられたのか数日ほど声が出なかったり、洗濯籠にごみ袋かぶせて雨どいの下に置いて生活用水にしたり、家の裏のパチンコ屋の駐車場に被災した車が積み上げられてこれまた終末感が半端なかったり、被災した我が家の自家用車が数百メートル離れたカーディーラーの駐車場の奥まで流されてたり、玄関が開かないからと家の窓ガラスを落ちてたバットで割ったりと、まだまだネタの尽きない被災者生活だったんですが、キリがないのでこの辺で。

なんとなく状況は伝わったんじゃないかなーと(^^;

 

最後にぐちぐちと

なんやかんやと目の前のことに対処しながらどうにか5年生きてきましたけど、なんでしょうね、なんかこう、頑張るぞ! って気には相変わらずなれないっすね汗

少しずつ周りの街並みも復旧してきてるとは言え、やっぱり違うんですよね。

当たり前かもしれませんがやっぱり元通りにはならないもんで。

こういう心ん中のモヤモヤが晴れることはもうないんでしょうけども、それでもまあこのままだらだらとね、それなりに頑張ってくしかないのかなーと。

 

ここまで読んで下さった方は駄文乱文にお付き合いくださいましてありがとうございましたm(__)m

最後にとってつけたようで申し訳ありませんが、震災で亡くなった方々にお悔やみを申し上げますとともに、未だ被災地復興に尽力してくださってる方々に尊敬と感謝を伝えたいと思います。本当にありがとうございます。

 最後に当時の写真を一枚。

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次回こそはipod画像の更新するよ!(`・ω・´)b

 

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